スザンヌ・ヴェガの歌を聞いて感じるのは、その複数的な歴史感覚である。起きてしまった出来事はたしかに取り返しのつかない一度きりのものだが、それでもそれは時間の進行における唯一で確定的な道筋ではないし、つねに別の出来事が起こる可能性もあったわけで、現状とは異なるオルタナティヴな選択肢はつねに歴史のなかに「幽霊」のようにまとわりついている。これは下記のアニー・レノックスとは異なる、どちらかといえば宗教的な(ベンヤミンのような)救済感覚を色濃くたたえた世界認識なのかもしれない。それが音楽面に投影されると、複数のレイヤーをたたえる優美で幽玄な祈りに満ちたサウンドとなり、ヴェガの歌声に「天使」のような面影をあたえている。個人的にアニーの新作とあわせて聞くことで、いっそう感興の深まる素晴らしい作品だったと思う。ちなみに以前書いたレヴューはこちら。 ● TRACK PICK...."Zephyr & I," "New York Is A Woman," "Frank & Ava," "Edith Wharton's Figurines," "As You Are Now," "Anniversary"
崩れ落ちた瓦礫のなかでもしっかりと地面を踏みしめ、絶望と希望のあわいを揺れ動きながら、それでも歩みは止めないという凛とした気迫が伝わるアニー・レノックスの力作。彼女の「歌」を聞いて思い出すのは、かつて"Imagine"や"Instant Karma," "Power to the People"などを歌ったジョン・レノンの姿だ。そう、まさに女性版ジョン・レノン。いまや化石となった観のある「メッセージ・ソング」という旧時代の遺物を、これほど堂々と何のてらいもなく歌って、純粋な感動をもたらす歌い手はアニー・レノックス以外には思いつかない。最近のアニーは、一介のミュージシャンという枠をはるかに超えて、音楽メディアと社会アクティヴィズムを切り離せないほど融合させた存在になりつつあるが、それでもそうした姿勢が押しつけがましく感じられないのは、彼女が世界の現状を理解しそれを音楽で表現しようとするプロセスが、リスナーを無視したひとりよがりのものではなく、あくまで「ともに考える」真摯な姿勢に満ちているからだ。アニーにとって音楽とは、世界と対峙して生をまっとうするための技法(art of living)である――「わたしは魂の喜びをもてず/悲しみに支配されている/この冷たさから逃れて生まれかわりたい/そのためには力が必要/毎日おなじ狂気の繰り返しばかり/こんな憂鬱(blues)など蹴飛ばして/もういちど生きることを学んでゆきたい」("Dark Road")。"learn to live"という感覚を決して失わないこと。そして、かつて黒人の男性のものであったブルーズを、あらゆる女性の連帯のための賛歌に換骨奪胎すること。そこから彼女は"empowerment"の感覚を奔流のように紡ぎだす。彼女は第一世代のフェミニズム精神を受けついだ闘士であり、だからこそ"womankind"という言葉をさかんに使用する。もちろん第二世代のフェミニズムは、グローバルな女性の連帯といううたい文句が、白人女性の「善意」を第三世界に押しつけることで、そこに生きる(有色の)女性たちの経済的・文化的な抑圧を隠蔽する権威的ふるまいであることを、容赦なく暴きだした。しかし、アニーの活動(南アフリカのエイズ撲滅キャンペーンなど)にそんなことを言って批判したがるのは、フェミニストの側ではなくて、むしろ既存の権益を維持したい(ヘテロ)セクシスト=キャピタリストの方だろう。アニーの「歌」から感じとれるのは、何よりも自分の頭脳と肉体を酷使しながら徹底的に考えぬき、そのプロセスを音楽のなかに刻印しようとする「精神の運動」であり、そこから生まれでる強靭で真摯な歌声は、救いをもとめる多くの人びとを"empower"するだろう。それは現代のあくまで「世俗的」な「スピリチュアル」であり「ゴスペル」と呼んでもいいと思う――「理性的に考えて、わたしは希望などもっていません。だけど理性とは別に、わたしは奇蹟を信じているのです」(ジョニ・ミッチェル)/「知性のペシミズム、意志のオプティミズム」(グラムシ) ● TRACK PICK...."Dark Road," "Smithereenes," "Ghost in My Machine," "Womankind," "Through the Glass Darkly," "Sing"
On the Leyline Ocean Colour Scene (2007/04/30) Moseley Shoals
かつて90年代に一世風靡したバンドが地道に活動を続け、それなりのクォリティを保ちつつも、しだいに人気はジリ貧になってゆく。年季の入った古参ファン層は確固として存在するが、新しい流行に目のない大多数のリスナーからは見向きもされず、それでもときどき思い出したように「ああ彼らもまだ頑張ってるんだねえ」と同情とも憐れみともとれる言葉を投げかけられる――いつしかOCSも、そんな中堅バンド特有の悲哀を感じさせる存在になってしまった。彼らの新作はその長いキャリアの二度目のピークともいえる素晴らしい傑作に仕上がったが、、古いファン層からは「往年の勢いが戻ってきたかな」とか、過去との比較でそれなりに評価されつつも、その「往年」を知らない新しいリスナーにアピールするほどの新機軸を打ち出したわけでもなく、流行にうるさい自称音楽通には、またビートバンドやモッズサウンドの焼き直しをやってるぜと嘲笑され、それなりに知識ある音楽ファンには「なかなか良いんだけど、退屈な部分もあるな」とか訳知り顔で評価をくだされて、チャートアクションとしては1枚目をのぞいて過去最低の37位止まり(それでも立派な数字だと思う)に終わってしまった。もちろん年末恒例の音楽誌のベストアルバム企画で名前があがるはずもなく、プロモーションツアー終了とともに、せっかくの傑作アルバムもこのまま記憶の片隅へと追いやられてゆきそうな気配。まあ、わたしとしても、だからといって「こんな傑作を聞かないなんて!」といまさら布教してまわる意欲も気力もないし、実際のところ、次から次へと大量の音楽がリリースされては消えていく世知辛い音楽業界で、彼らのアルバムがトレンドセッターとしてチャートトップに返り咲くような華麗な仕上がりだとも思えない。だけどあえて言う。「だからこそOCSは素晴らしい」。「だからこそブリティッシュ・ロックの底力は侮れない」。これほど英ロックの伝統に忠実で、良質の楽曲で占められたアルバムが、現在の音楽シーンのなかでひっそり埋もれ忘れ去られていこうとしているわけで、まあ「何と贅沢な飽食の世の中よ」との感慨を禁じえない。だけどそんな世界の片隅で、ひっそりとこのアルバムを何度も繰りかえし愛聴している心ある音楽ファンは、決して少なくないことをわたしは信じているし、OCSが今後も地道に活動を継続してゆくかぎり、この生き馬の目をぬく世界のなかに、一陣の涼風が吹きぬけるだけの隙間はきっとまだあると思うのだ。 ● TRACK PICK...."I Told You So," "For Dancers Only," "Man in the Middle," "Go to Sea," "You'll Never Find Me," "Lonliest Girl in the World"
これもスウェーデン発バンドのデビュー・アルバム。Montt Mardieのような華麗さや器用さがあるわけではなく、どちらかといえば地味でフォーキーな音楽を聞かせるバンドだが、個人的な趣味もあって彼らのアルバムは繰りかえし聞いた。バンドのバイオを読んでも分かるが、とにかく紅一点のヴォーカリストであるフリダ・オーンの声を最大限に生かし、彼女の声を聞かせることがバンドの結成の目的だとかで、聞かせどころははっきりしている。そのヴォーカルはといえば、力強いけれど落ち着いたしっとりとしたもので、ハスキーとまではいかないほどのハスキー・ヴォイスというか、実はそれほど印象的というほどの声ではない。ただ、曲にも声にも派手で目立つ特徴がないといっても、「この声なくしてこの曲なし」もしくは「この曲なくしてこの声なし」としか言いようのない、まさに絶妙のマッチングをみせる総合力の高いバンドなのだ。サウンド面では、アメリカ寄りのカントリーやフォークの色合いが強いが、ただそれがスウェーデンに移植されたとき、良い具合に土着の要素が脱色されて、普遍的なポップサウンドをつくる下地になるのだから不思議なものだ。正直に言えば、このバンドの魅力をひとことで言うのは難しい。しかし、以前述べたように、「平凡なクリシェを胸躍る鮮やかな風景へと変換する」のがポップ・ミュージックの使命のひとつと言えるとすれば、彼らはまさにそうした使命をあたえられたバンドのひとつである。そして、彼らの"Raining in New York" そして "Out of Bounds" という続きの2曲に、そうしたポップソングの魔法が宿っているのを体験し、わたしは彼らの音楽から離れられなくなってしまった。"New York"の方は、男と別れ、ひとり異郷の街に取り残された女の心情を歌った曲。みずからを束縛する枷を切り離すことができず、なんの助けもなく雨のニューヨークにたたずむ女。ところが続く "Out of Bounds" では(ストーリーとして関連があるわけではないが)、「彼」との出会いによって、みずからを縛る戒めを解きはなち、生まれ変わって古い街を飛び出してゆく「私」の心情が高らかに歌われる。確かに「束縛と解放」というテーマは、昔からよくあるロックのクリシェのひとつだ。しかし、Oh Laura の手にかかると、この使い古されたテーマがとたんに生気をおび、エヴァーグリーンな普遍的風景として息づきはじめる。この一見、地味で派手さのないバンドのなかに、ポップスの生命が脈々と鼓動しているのを聞くとき、スウェディッシュ・ポップスの伝統はまたひとつ重みを増したのである。 ● Track Pick...."Release Me," "Raining in New York," "Out of Bounds"
とうとうツェッペリン級の貫禄をそなえてきたホワイト・ストライプスの新作。ブルーズをガレージ風に味付けしたモダン・ルーツ・ミュージックをやる単純なバンドだと思っていたら、アルバムを重ねるごとに、しっかりと独自のサウンドを構築しながら間口を広げて、実に多様な音楽性をみせる懐の深いバンドへと成長してきた。このアルバムでは、ホワイト・ストライプス流「移民の歌」ともいえる超強力なタイトルトラックで幕をあけ、以降はブルーズを基調にしながらも、みずからのケルト・ルーツを探求しつつモダナイズした"Pricky Thorn, But Sweetly Worn"(バグパイプを使ってる!)など民族的な要素をみせつつ、メキシコかスペインか知らんがエキゾティックなメロディがロバート・プラント風ヴォーカルにはまりまくる"Conquest"(これがパティ・ペイジのカヴァーだなんて!)、かと思えばさりげなく強力なメロディメイカーぶりを発揮した爆裂ポップス"You Don't Know What Love Is"にいたるまで、最後まで気が抜けずにへとへとに疲れる全13曲。やはり音楽的方法論の面で、ツェッペリンの遺産をモダナイズした当世最強のバンドと言えるんでは。正直な話、彼らが出てきたときは、こいつらすぐネタ切れになるんではないかと思っていたけど、今となってはこちらの読みが甘かったと認めざるをえない。 ● TRACK PICK...."Icky Thump," "You Don't Know What Love Is," "Conquest"
Pretender Montt Mardie (2007/05/08) Hybris Records Sw
アメリカは西海岸ロスに拠点を置くBiirdieのセカンド・アルバム。おそらく日本はもとより、本国でもこのバンドのことを知っている人は少数だろう。だが、このバンドやビショップ・アレン級のバンドがごろごろ転がっているのが、現行のUSインディ・ポップシーンの底力というべきか。アルバムの方は実に素晴らしい出来ばえだが、サウンドは不思議な感触をもっている。ウェスト・コースト風もしくは南部風の「ダウン・トゥ・アース」な感触を随所に残しながら、曲を聞いたときに感じるのは、土着の土地にしっかり着地するようなアーシーな感覚ではなく、どこかドリーミーでふわふわした飛翔感と、とらえどころのない浮遊感なのだ。土地に根ざし安定した生活を営む定住のイメージと、居場所を失って放浪の旅に出るというイメージは、どちらもアメリカの両極を特徴づける相反した感覚と言えるかもしれない。ただし、放浪のモチーフとは、結局しかるべき「故郷」に定住することを目指す一時的な(いずれ解消される)水平的な状態なのだとしたら、Biirdieの場合、定住や故郷から離れて「鳥」のように垂直に上昇するような、「地に足のつかない」独特の感覚がある。それは、むしろイギリスのグラム・ロック的な、華美でephemeralな感覚に近いのかもしれない。とりたてて派手ではないけれど、こうした独特の浮遊感や根無し草的な感覚が妙にフィットしてしまうのも、現代のアメリカの特徴であり、またUSインディのひとつの特色と言えるのかもしれない。ええ、適当なこと言ってますけどね。 ● Track Pick...."Catherine Avenue," "LA Is Mars," "Life in a Box," "Careless & Unconcerned"