The Day The Nazi Died (1) 

Chumbawamba - The Day The Nazi Died (ナチが滅亡した日)

戦争が終わって、ナチどもは跡形もなく消え去ったと
俺たちは教わっている
でもファシストどもの大部隊がいまだに
支配人種たらんと夢みてやがるんだ
歴史の教科書によれば、奴らは1945年に敗北したことになっている
だったら、ナチが滅亡したはずの日に
どうして奴らがうようよ湧いて出てきたんだよ

シュパンダウの囚人、ヘス(*1)が牢屋に入っていたあいだは
奴はナチ敗北のシンボルということになっていた
つまりファシストの野郎どもは打ち負かされたんだと
だからアーリア人(*2)の帝国という野望も
けっして実現することはないだろうと言われてた
だったら、ナチが滅亡したはずの日に
どうして奴らがうようよ湧いて出てきたんだよ

世界は蛆虫どもに牛耳られてしまっている
蛆虫どもはでっぷり肥え太りつつある
お偉い方や官僚ども全員から
たらふく甘い蜜を吸っていやがるんだ
そのうち重役室を乗っ取っるつもりだぜ
こいつらはぶよぶよ肥満して、傲慢そのもの
だからナチが滅亡したはずの日に
奴らはうようよ湧いて出てきやがったんだ

もし歴史家の先生方と出くわしたら
どう言えばいいか教えてあげよう
ナチは決して滅びたわけではありませんと言ってあげるんだ
奴らはあちこちにのさばって、家屋を焼き払い
人種差別の嘘八百を吹聴してまわっている
だから、ナチどもが全部くたばるまで
俺たちはおちおち休んでいられないんだ


歌詞だけ読むと威勢のよいパンク・ナンバーだと思われるかもしれないが、実際はアカペラのハーモニーが美しい唱歌。このへんの落差が実にチャンバワンバらしい。この曲ができたのは結構古いようで、もともとのヴァージョンは1991年にリリースされている。他にもミックス違いがシングルなどに収録されたりして、いくつかヴァージョンがあるようだが、一般に入手しやすいのは1994年のライヴ盤 Showbusiness! に収録されているライヴ・ヴァージョン。もしくは、1998年のベスト盤 Uneasy Listening に、これをさらにリマスターして聞きやすくしたテイクが収録されている。8人編成時代のエレクトリック・チャンバの頃だけでなく、近年の4人編成アコースティック・チャンバにおいても、ライヴでずっと歌い続けられている定番ナンバーだ。去年のグラストンベリー出演のおりにも、この曲を歌う彼らの姿がYouTubeで確認できる(ただし30秒だけ)。やっぱりいつ聞いても名曲。

Chumbawamba - The Day The Nazi Died (2006 Live)




「ナチは1945年に滅びたわけじゃないんだぜ、今もファシストどもが官僚や資本家などと結託して有害な活動を続けているんだから、奴らをやっつけるまでおちおちしてられねえんだよ!」という、まことにチャンバワンバらしい威勢のよい曲であるが、彼らのことだから、やはり90年代初頭の具体的な時代状況を念頭においていることは間違いない。一見すると、ネオナチを狙い撃ちした曲のようにも思える。しかし、冷戦崩壊後、湾岸戦争が起こり、また東欧などで民族対立が激化してゆく状況を背景に、ヨーロッパ内で隠微な人種差別的な言説がはびこっていく、そんな傾向にいらだちを表明した曲なのかもしれない。いずれにせよ、この曲が21世紀になっても歌いつがれ、なおかつアクチュアルなパワーを失っていないのならば、同時代的な関連をふまえつつ、もうすこし幅広いコンテクストのなかにこの曲を置いてみることが必要かもしれない。

Uneasy Listening Uneasy Listening
Chumbawamba (2002/02/25)
EMI

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たしかに、いつ聞いても強制的に元気が出てしまう、力強いナンバーである。しかし現在では、「敵」を「ファシスト呼ばわり」するというのは、かなり手垢のついた、ご都合主義的なレトリックであるのもまた事実。あのファシストめ、だとか、どうせ奴らはファシストだから、という非難は、右翼左翼保守リベラル革新を問わず、自分とは相容れない都合の悪い敵をくさすのに、実に便利な言葉だ。ファシズムという言葉は、あまりにも一般的になりすぎて、内実を欠いた空虚なシニフィアンになりつつある(そういやジジェクも『全体主義――観念の(誤)使用について』などという本を出していた)。実際にナチがおこなったホロコーストや人種差別は、今もなお西洋社会最大のタブーとされているぶん、「ナチ呼ばわり」「ファシスト呼ばわり」することは、相手に対する最大の攻撃的・侮辱的言辞となるわけだが、その「相手」が具体的に「誰」を指すのかという点で、猛烈な感情的反応がおこりがちだ。たとえばホロコーストを否定するような発言をしたイラン大統領は、西洋社会からすれば、間違いなく立派な「ファシスト」に認定されるわけだが、もともとヨーロッパの側がイスラムを侮辱するマンガを「表現の自由」の名のもとに公開し、なおかつイラン核処理施設問題をダブル・スタンダードとしかいいようのない基準で裁こうとしているのだから、イスラム側からすれば、そちらこそ人種差別的な「ファシスト」ではないかと言いたくもなろう。まして核不拡散条約に加入していないイスラエルが、なかば公然と核を所有し、イスラエルに敵対するものは「反ユダヤ主義者=ファシスト」の烙印をおされるという状況では、パレスチナ問題のありかさえ、反ユダヤ主義という言説のなかで雲散霧消してしまい、現在では反ユダヤ主義のいちばんの犠牲者はユダヤ人ではなく、パレスチナ人に他ならないという事実も抹消される。ナチ=反ユダヤ=ファシズムという(もともと歴史的な)連鎖が、敵を非難するための「レトリック」として使われるとき、犠牲者が犠牲者を非難する、あるいは抑圧者が犠牲者の猫をかぶる、という欺瞞性を隠蔽するように機能してしまう。

ここで自戒をこめて言いたいのは、チャンバワンバの名曲を聞いて、「敵」を批判するのに使えるからって、むやみやたら元気をもらうのはやめましょうね、という話。もちろん曲を作る側に対して、そのような微妙な修辞作用に配慮する責任を求めるというのも限度がある。むしろ特定のコンテクストを超える広範な影響力を曲にもたせようとするなら、できるだけ意味作用は曖昧であった方がよい。だから曲をどう受け取るかは、聞く側の責任にゆだねられるのだ。(つづく、かもしれない)



*1 ナチの創立メンバー、ルドルフ・ヘスのこと。ヒトラーに心酔して、ついには彼の片腕として党の副総統をつとめるにいたったが、実務家としては凡庸で、精神的にも異常をきたしたのか、独断でイギリスとの講和をまとめようとして渡英。しかし誰にも相手にされず、ロンドン塔に幽閉される(歴史上ロンドン塔に幽閉された最後の人物だとか!)。この失態でナチの実権を失い、役職も解任。戦後ニュルンベルク裁判で戦争犯罪人として裁かれたが、ヒトラーへの忠誠をひるがえすことはなかった。結果、終身刑を宣告されてシュパンダウ刑務所で服役。そこで後半生をずっと囚人として過ごし、やがてナチ戦犯としてただひとりの服役囚となった(だから彼は象徴的人物であった)が、1987年、93歳もの高齢で自殺した。

*2 ナチがらみで「アーリア人」が出てくるときは、ヒトラーが理想とした純粋で優秀なゲルマン民族のことを指す。ヒトラーは優生学的なアーリア人至上主義を唱え、ゲルマン民族による世界支配をもくろみ、劣等種としてユダヤ人の大量殺戮をはかった。

[2008/01/17 00:59] Music | トラックバック(-) | コメント(-)

15 Favourite Albums of 2007 (3) 

あけましておめでとうございます。年を越えてまで持ちこしたくない企画なので、何とか元旦のあいだに書いてみました。おかげで自分でも何言ってるのかよく分からなくなり、また心機一転、懲りずに出直すことができそうです。いよいよ最後の1位〜5位ですが、順位は例によって(以下略)


Beauty & Crime Beauty & Crime
Suzanne Vega (2007/06/11)
EMI

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スザンヌ・ヴェガの歌を聞いて感じるのは、その複数的な歴史感覚である。起きてしまった出来事はたしかに取り返しのつかない一度きりのものだが、それでもそれは時間の進行における唯一で確定的な道筋ではないし、つねに別の出来事が起こる可能性もあったわけで、現状とは異なるオルタナティヴな選択肢はつねに歴史のなかに「幽霊」のようにまとわりついている。これは下記のアニー・レノックスとは異なる、どちらかといえば宗教的な(ベンヤミンのような)救済感覚を色濃くたたえた世界認識なのかもしれない。それが音楽面に投影されると、複数のレイヤーをたたえる優美で幽玄な祈りに満ちたサウンドとなり、ヴェガの歌声に「天使」のような面影をあたえている。個人的にアニーの新作とあわせて聞くことで、いっそう感興の深まる素晴らしい作品だったと思う。ちなみに以前書いたレヴューはこちら
TRACK PICK...."Zephyr & I," "New York Is A Woman," "Frank & Ava," "Edith Wharton's Figurines," "As You Are Now," "Anniversary"


Songs of Mass Destruction Songs of Mass Destruction
Annie Lennox (2007/10/02)
RCA

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崩れ落ちた瓦礫のなかでもしっかりと地面を踏みしめ、絶望と希望のあわいを揺れ動きながら、それでも歩みは止めないという凛とした気迫が伝わるアニー・レノックスの力作。彼女の「歌」を聞いて思い出すのは、かつて"Imagine"や"Instant Karma," "Power to the People"などを歌ったジョン・レノンの姿だ。そう、まさに女性版ジョン・レノン。いまや化石となった観のある「メッセージ・ソング」という旧時代の遺物を、これほど堂々と何のてらいもなく歌って、純粋な感動をもたらす歌い手はアニー・レノックス以外には思いつかない。最近のアニーは、一介のミュージシャンという枠をはるかに超えて、音楽メディアと社会アクティヴィズムを切り離せないほど融合させた存在になりつつあるが、それでもそうした姿勢が押しつけがましく感じられないのは、彼女が世界の現状を理解しそれを音楽で表現しようとするプロセスが、リスナーを無視したひとりよがりのものではなく、あくまで「ともに考える」真摯な姿勢に満ちているからだ。アニーにとって音楽とは、世界と対峙して生をまっとうするための技法(art of living)である――「わたしは魂の喜びをもてず/悲しみに支配されている/この冷たさから逃れて生まれかわりたい/そのためには力が必要/毎日おなじ狂気の繰り返しばかり/こんな憂鬱(blues)など蹴飛ばして/もういちど生きることを学んでゆきたい」("Dark Road")。"learn to live"という感覚を決して失わないこと。そして、かつて黒人の男性のものであったブルーズを、あらゆる女性の連帯のための賛歌に換骨奪胎すること。そこから彼女は"empowerment"の感覚を奔流のように紡ぎだす。彼女は第一世代のフェミニズム精神を受けついだ闘士であり、だからこそ"womankind"という言葉をさかんに使用する。もちろん第二世代のフェミニズムは、グローバルな女性の連帯といううたい文句が、白人女性の「善意」を第三世界に押しつけることで、そこに生きる(有色の)女性たちの経済的・文化的な抑圧を隠蔽する権威的ふるまいであることを、容赦なく暴きだした。しかし、アニーの活動(南アフリカのエイズ撲滅キャンペーンなど)にそんなことを言って批判したがるのは、フェミニストの側ではなくて、むしろ既存の権益を維持したい(ヘテロ)セクシスト=キャピタリストの方だろう。アニーの「歌」から感じとれるのは、何よりも自分の頭脳と肉体を酷使しながら徹底的に考えぬき、そのプロセスを音楽のなかに刻印しようとする「精神の運動」であり、そこから生まれでる強靭で真摯な歌声は、救いをもとめる多くの人びとを"empower"するだろう。それは現代のあくまで「世俗的」な「スピリチュアル」であり「ゴスペル」と呼んでもいいと思う――「理性的に考えて、わたしは希望などもっていません。だけど理性とは別に、わたしは奇蹟を信じているのです」(ジョニ・ミッチェル)/「知性のペシミズム、意志のオプティミズム」(グラムシ)
TRACK PICK...."Dark Road," "Smithereenes," "Ghost in My Machine," "Womankind," "Through the Glass Darkly," "Sing"


On the Leyline On the Leyline
Ocean Colour Scene (2007/04/30)
Moseley Shoals

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かつて90年代に一世風靡したバンドが地道に活動を続け、それなりのクォリティを保ちつつも、しだいに人気はジリ貧になってゆく。年季の入った古参ファン層は確固として存在するが、新しい流行に目のない大多数のリスナーからは見向きもされず、それでもときどき思い出したように「ああ彼らもまだ頑張ってるんだねえ」と同情とも憐れみともとれる言葉を投げかけられる――いつしかOCSも、そんな中堅バンド特有の悲哀を感じさせる存在になってしまった。彼らの新作はその長いキャリアの二度目のピークともいえる素晴らしい傑作に仕上がったが、、古いファン層からは「往年の勢いが戻ってきたかな」とか、過去との比較でそれなりに評価されつつも、その「往年」を知らない新しいリスナーにアピールするほどの新機軸を打ち出したわけでもなく、流行にうるさい自称音楽通には、またビートバンドやモッズサウンドの焼き直しをやってるぜと嘲笑され、それなりに知識ある音楽ファンには「なかなか良いんだけど、退屈な部分もあるな」とか訳知り顔で評価をくだされて、チャートアクションとしては1枚目をのぞいて過去最低の37位止まり(それでも立派な数字だと思う)に終わってしまった。もちろん年末恒例の音楽誌のベストアルバム企画で名前があがるはずもなく、プロモーションツアー終了とともに、せっかくの傑作アルバムもこのまま記憶の片隅へと追いやられてゆきそうな気配。まあ、わたしとしても、だからといって「こんな傑作を聞かないなんて!」といまさら布教してまわる意欲も気力もないし、実際のところ、次から次へと大量の音楽がリリースされては消えていく世知辛い音楽業界で、彼らのアルバムがトレンドセッターとしてチャートトップに返り咲くような華麗な仕上がりだとも思えない。だけどあえて言う。「だからこそOCSは素晴らしい」。「だからこそブリティッシュ・ロックの底力は侮れない」。これほど英ロックの伝統に忠実で、良質の楽曲で占められたアルバムが、現在の音楽シーンのなかでひっそり埋もれ忘れ去られていこうとしているわけで、まあ「何と贅沢な飽食の世の中よ」との感慨を禁じえない。だけどそんな世界の片隅で、ひっそりとこのアルバムを何度も繰りかえし愛聴している心ある音楽ファンは、決して少なくないことをわたしは信じているし、OCSが今後も地道に活動を継続してゆくかぎり、この生き馬の目をぬく世界のなかに、一陣の涼風が吹きぬけるだけの隙間はきっとまだあると思うのだ。
TRACK PICK...."I Told You So," "For Dancers Only," "Man in the Middle," "Go to Sea," "You'll Never Find Me," "Lonliest Girl in the World"


Life in Cartoon Motion Life in Cartoon Motion
Mika (2007/03/27)
Universal

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あまりに「出来すぎ」のソングライティングゆえに、かえって80年代のたんなる焼き直しとして音楽的に片付けられることの多い「現代」ポップスのカメレオン。よく引き合いに出されるのが、フレディ・マーキュリー、エルトン・ジョン、プリンス、ルーファス・ウェインライト、シザー・シスターズですか。全員ゲイですね。まあMIKAがカミングアウトしない以上、それを「公然の秘密」として、彼のセクシュアリティのみを云々することは慎みを欠いた下世話な詮索であるのは百も承知である。しかしそれでも、彼の音楽は最高の「ゲイポップ」であるとあえて断言したい。そのためには「ゲイポップ」という言葉の定義をきちんとしなければならないのだが、そんな作業はとても手に余るものなので、ここではそれがつねに確定的な定義をすりぬける、反本質主義的でunfixingな志向をもつとだけ言っておけばよかろう。そもそも、セクシュアリティばかりをやたら気にして、その性的志向をつねに人格(音楽)的特性にすりかえるのが、ヘテロセクシュアルに特有の"indecent"で陰険な権威的やり口であり、そもそもゲイであること(いやむしろクィアと言ってもよい)とは、固定されたアイデンティティをずらし、たえず変容しながら、未完の可能性を探求する開かれた実践なのである。なんでも既成の「型」に押し込めてしまう音楽業界への反発から書かれたという"Grace Kelly"は、「ゲイポップ」という観点から考えれば、なにも音楽業界には限らず、世界中いたるところに浸透する「固定化の圧力」からの解放をうながすメッセージになるだろう――"I've gone identity mad!"――MIKAの音楽はカメレオンのように色合いを変えながら、そのフリッパントな饒舌の裏側で、抑圧された自由を、とても哀しい喜びを、生真面目な不真面目さを、満たされることのない欲望を、そして、それでも人間であるがゆえに変わらず残るものを、リスナーに感じさせるのだ。
TRACK PICK...."Grace Kelly," "Lollipop," "My Interpretation," "Any Other World," "Billy Brown," "Happy Ending"


ゾー,アイム・ジャスト・ミーThough, I'm Just Me
(2007/11/07)
Maia Hirasawa

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マヤ・ヒラサワのことを知ったのは、ごく最近のことにすぎないのだが、惚れてしまいました。一言でいえば、スウェーデンのレジーナ・スペクター。ただ、声の感触はレジーナよりも、少しウェットな感じがするし、曲も"quirky"なひねりはそれほどない。でも、音楽の完成度は大したもので、ピアノやギターなどでのシンプルな弾き語りをあくまで基本にすえながら、さまざまな楽器で(ほとんど彼女自身が演奏しているとか!)繊細な味付けをほどこし、曲をふくよかな室内楽風に仕上げている。とくにストリングスのアレンジも絶妙。3拍子のワルツ形式の歌も得意なようだ。また、彼女はハロー・セイフライドのバッキングをつとめていたということで、その音楽の共通性が指摘されることも多いようだ。確かにどちらも優れたスウェディッシュ・ポップスなんだけど、ハロー・セイフライドは音楽面ではわりとアメリカ寄りの(USインディ的)ポップスの資質をみせるのに対して、マヤの方はもう少しヨーロッパ的感性というか、ジャズからクラシックまでの幅広い音楽的素養をうまくポップスの枠内に流し込んで彫琢したという印象を受ける。ただし詩の面では、ハロー・セイフライドは(年上だけど)思春期特有の振れ幅の大きいガーリッシュな感性を実に生き生きと描写する。その大胆さといい突飛さといい、マヤよりもずっと面白い。しかしその分、音楽面ではマヤの方がずっと練り上げられた完成度の高いもので、詩の面でうまく表現しきれなかった感情を、その流麗な曲想で補ってあまりある。まあ、このへんは好みの問題で、どちらが良いとかいうわけではなく、マヤの方が(年下だけど)より年上受けする感性をそなえているということにしておこう。彼女、日本人とのハーフということで、先月に来日した際にスポーツ紙などでやたら騒がれたようだが、べつにそんなことはどうでもよくて、あくまで彼女の音楽はスウェディッシュ・ポップスの本流につながる正統派としてとらえるべき。顔は日本人ぽいけど。そういや先日、彼女のブログを見つけて喜んだのもつかのま、全部スウェーデン語でまったく読めずに悲しかったです。
TRACK PICK...."Still June," "Mattis & Maia," "Parking Lot," "Gothenburg"

[2008/01/02 01:49] Music | TB(0) | コメント(-)

15 Favourite Albums of 2007 (2) 

今回は6位〜10位。例によって順位は上からみるのか下からみるのか、わたしにもよく分かりません。大したこと書いてないのに、こんなにバテているようでは、かんじんのトップ5がおろそかになりそうです。


A Song Inside My Head, A Demon in My Bed A Song Inside My Head, A Demon in My Bed
Laura Oh
Cosmos

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あ、バンド名は Laura Oh ではなくて、Oh Laura です。

これもスウェーデン発バンドのデビュー・アルバム。Montt Mardieのような華麗さや器用さがあるわけではなく、どちらかといえば地味でフォーキーな音楽を聞かせるバンドだが、個人的な趣味もあって彼らのアルバムは繰りかえし聞いた。バンドのバイオを読んでも分かるが、とにかく紅一点のヴォーカリストであるフリダ・オーンの声を最大限に生かし、彼女の声を聞かせることがバンドの結成の目的だとかで、聞かせどころははっきりしている。そのヴォーカルはといえば、力強いけれど落ち着いたしっとりとしたもので、ハスキーとまではいかないほどのハスキー・ヴォイスというか、実はそれほど印象的というほどの声ではない。ただ、曲にも声にも派手で目立つ特徴がないといっても、「この声なくしてこの曲なし」もしくは「この曲なくしてこの声なし」としか言いようのない、まさに絶妙のマッチングをみせる総合力の高いバンドなのだ。サウンド面では、アメリカ寄りのカントリーやフォークの色合いが強いが、ただそれがスウェーデンに移植されたとき、良い具合に土着の要素が脱色されて、普遍的なポップサウンドをつくる下地になるのだから不思議なものだ。正直に言えば、このバンドの魅力をひとことで言うのは難しい。しかし、以前述べたように、「平凡なクリシェを胸躍る鮮やかな風景へと変換する」のがポップ・ミュージックの使命のひとつと言えるとすれば、彼らはまさにそうした使命をあたえられたバンドのひとつである。そして、彼らの"Raining in New York" そして "Out of Bounds" という続きの2曲に、そうしたポップソングの魔法が宿っているのを体験し、わたしは彼らの音楽から離れられなくなってしまった。"New York"の方は、男と別れ、ひとり異郷の街に取り残された女の心情を歌った曲。みずからを束縛する枷を切り離すことができず、なんの助けもなく雨のニューヨークにたたずむ女。ところが続く "Out of Bounds" では(ストーリーとして関連があるわけではないが)、「彼」との出会いによって、みずからを縛る戒めを解きはなち、生まれ変わって古い街を飛び出してゆく「私」の心情が高らかに歌われる。確かに「束縛と解放」というテーマは、昔からよくあるロックのクリシェのひとつだ。しかし、Oh Laura の手にかかると、この使い古されたテーマがとたんに生気をおび、エヴァーグリーンな普遍的風景として息づきはじめる。この一見、地味で派手さのないバンドのなかに、ポップスの生命が脈々と鼓動しているのを聞くとき、スウェディッシュ・ポップスの伝統はまたひとつ重みを増したのである。
Track Pick...."Release Me," "Raining in New York," "Out of Bounds"


Icky Thump Icky Thump
The White Stripes (2007/06/19)
XL

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とうとうツェッペリン級の貫禄をそなえてきたホワイト・ストライプスの新作。ブルーズをガレージ風に味付けしたモダン・ルーツ・ミュージックをやる単純なバンドだと思っていたら、アルバムを重ねるごとに、しっかりと独自のサウンドを構築しながら間口を広げて、実に多様な音楽性をみせる懐の深いバンドへと成長してきた。このアルバムでは、ホワイト・ストライプス流「移民の歌」ともいえる超強力なタイトルトラックで幕をあけ、以降はブルーズを基調にしながらも、みずからのケルト・ルーツを探求しつつモダナイズした"Pricky Thorn, But Sweetly Worn"(バグパイプを使ってる!)など民族的な要素をみせつつ、メキシコかスペインか知らんがエキゾティックなメロディがロバート・プラント風ヴォーカルにはまりまくる"Conquest"(これがパティ・ペイジのカヴァーだなんて!)、かと思えばさりげなく強力なメロディメイカーぶりを発揮した爆裂ポップス"You Don't Know What Love Is"にいたるまで、最後まで気が抜けずにへとへとに疲れる全13曲。やはり音楽的方法論の面で、ツェッペリンの遺産をモダナイズした当世最強のバンドと言えるんでは。正直な話、彼らが出てきたときは、こいつらすぐネタ切れになるんではないかと思っていたけど、今となってはこちらの読みが甘かったと認めざるをえない。
TRACK PICK...."Icky Thump," "You Don't Know What Love Is," "Conquest"


Pretender Pretender
Montt Mardie (2007/05/08)
Hybris Records Sw

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スウェーデンの至宝、ポップスの魔術師……この23歳(1983年生まれの現在24歳)の若者David Pagmarには、どんな賛辞を呈しても褒めすぎにはならないほど、その傑出した才能には恐れ入るばかりだ。個人的には「スウェーデンのMIKA」。ポップスの文法を知りつくした完成度の高いソングライティングと、ファルセット・ヴォイスをさかんに用いるところからの連想なんだけど、おそらく正確には「スウェーデンのプリンス(そう殿下のことです)」と言うべきなんだろう。ただ、Montt Mardieの場合、スウェーデンという土壌もあってか、汗やら汁やらが飛び散りまくる黒いファンクネスではなく、あくまでディーセントで優美なポップスの白魔術を駆使している。Clocks / Pretender という作品は、Pagmarが才能を遺憾なく発揮した2枚組の大作で、Clocks の方は、60〜70年代の古き良きポップミュージックへの憧憬を前景化したソウルフルな楽曲がならぶ。他方 Pretender の方は、1曲ごとに共演者(みなスウェーデンの有名ミュージシャン)を変えて、全体的にシンセや打ち込みやネオアコ色の濃い80年代風の楽曲で占められている。どちらのサイドにも印象的なのは、各時代を代表するポップ・ミュージックへのノスタルジーであり、そのエッセンスを抜きだし再構成する手際のよさ、音楽への造詣の深さは、とても23歳の若者とは思えない。プロダクションは、早くも完成の域に達したといえる素晴らしいものだが、願わくば今後、たんなるノスタルジーを超えた彼独自の新しいポップス再構築をさらに大胆に推し進めていってほしいと思う。
Track Pick...."Set Sail Tomorrow," "1969," "Castle in the Sky," "Metropolis"


Under the Blacklight Under the Blacklight
Rilo Kiley (2007/08/20)
Wea

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かつてUSインディの筆頭格だったが、このたびメジャーへとめでたく昇進。それとともにバンドの主導権は、ほぼ完全にジェニー・ルイスの手に握られ、ブレイク・セネットは彼女のバックに徹しているようだ(印象的なギターワークはそのままだが)。サウンド面では、このバンドの根本にあるアメリカン・ルーツ・ミュージックへの憧憬は、うまく消化/昇華されて後景に退きつつ、ジェニーを中心にした新しいポップ・ミュージックが提示されている。個々の曲を聞くと、それぞれゴスペルやらファンクやらソウルやら狙いがすけて見えたりもするが、アルバム全体の印象としてはライロ・カイリー一流のガール・ポップ(?)サウンドがしっかり構築されているのだ。こうした方向転換は、以前からのファンのあいだでは賛否が分かれるかもしれない。しかし個人的には、ジェニーのソロとはまたちがうバンドならではの魅力もしっかり発揮されているし、何より音楽面でも詩の面でも女としても、彼女は今が「旬」なのだから、こういうジェニー路線は大正解だと思う。アルバムからかいまみえるのは、なによりも彼女の匂いたつような「成熟」であり、強い「自己主張」である。とくにジェニーの書く詩はなかなか手ごわくて、基本的には物語仕立てなんだけど、そこには一筋なわではいかない男女関係が表現され、最終的にはどうやら女の側からの「訣別」と「自立」が宣言される(としかわたしには思えない)。確かに、これはひとりの女として力強い自己宣言であると同時に、いま隆盛をきわめるUSインディシーンからの卒業宣言でもあるのかもしれない。
TRACK PICK...."Silver Lining," "Under the Blacklight," "The Angels Hung Around"


Catherine Avenue Catherine Avenue
Biirdie (2007/11/01)
Drive-Thru Records

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アメリカは西海岸ロスに拠点を置くBiirdieのセカンド・アルバム。おそらく日本はもとより、本国でもこのバンドのことを知っている人は少数だろう。だが、このバンドやビショップ・アレン級のバンドがごろごろ転がっているのが、現行のUSインディ・ポップシーンの底力というべきか。アルバムの方は実に素晴らしい出来ばえだが、サウンドは不思議な感触をもっている。ウェスト・コースト風もしくは南部風の「ダウン・トゥ・アース」な感触を随所に残しながら、曲を聞いたときに感じるのは、土着の土地にしっかり着地するようなアーシーな感覚ではなく、どこかドリーミーでふわふわした飛翔感と、とらえどころのない浮遊感なのだ。土地に根ざし安定した生活を営む定住のイメージと、居場所を失って放浪の旅に出るというイメージは、どちらもアメリカの両極を特徴づける相反した感覚と言えるかもしれない。ただし、放浪のモチーフとは、結局しかるべき「故郷」に定住することを目指す一時的な(いずれ解消される)水平的な状態なのだとしたら、Biirdieの場合、定住や故郷から離れて「鳥」のように垂直に上昇するような、「地に足のつかない」独特の感覚がある。それは、むしろイギリスのグラム・ロック的な、華美でephemeralな感覚に近いのかもしれない。とりたてて派手ではないけれど、こうした独特の浮遊感や根無し草的な感覚が妙にフィットしてしまうのも、現代のアメリカの特徴であり、またUSインディのひとつの特色と言えるのかもしれない。ええ、適当なこと言ってますけどね。
Track Pick...."Catherine Avenue," "LA Is Mars," "Life in a Box," "Careless & Unconcerned"
[2007/12/29 01:34] Music | TB(0) | コメント(-)