ジョン・フラテリ(Vo, G)
バリー・フラテリ(B)
ミンス・フラテリ(Dr)
このふざけた名前のスリーピース・バンド「ザ・フラテリス」は、もちろんメンバーが血を分けただんご三兄弟というわけではないし、仲睦まじきイタリア系でもなければ、まさか『グーニーズ』の悪者一家でもあるまい。こいつらは、グラスゴー出身のれっきとしたスコットランド人で、こんなバンド名をつけたのは、ラモーンズあたりの向こうを張っている――ということだけは間違いなかろう。年齢は27歳になっているようなので若いとはいえない。バンドじたいは結成して2年もたたない新米だが、音を聞くかぎり、だてに年を食っているわけじゃなさそうだ。きっと長い下積み時代を経ていて、海千山千の曲者と化しているんだろう。ルックスもむさい。ヴォーカル&ギターのジョンは、マーク・ボランかシド・バレットみたいな顔つきだが、ベースのバリーはマニックスのジェームズみたいだし、さらに言えば、ベレー帽をかぶると「ビギン」になる。ドラムのミンスは、太鼓の粗暴な叩き方といい、そのワイルドな髭面といい、かのデニス・ウィルソンを彷彿とさせるが、なぜかいつもランニングシャツを着ているところは「たま」のごとし。ちなみに、アンプラグドではこの3人、全員仲良くギターをじゃかじゃか弾いていた。
プロデュースは最近やたら名前をみかけるトニー・ホッファーで、LA録音。スリーピースでラモーンズ的バンド名にふさわしく、サウンドはブライトで明朗なパンク風(?)に仕上がっている。曲のポップさや勢いの良さから、一聴すると、グリーン・デイあたりを連想する人もいるかも。――ただ、こいつらのサウンドをよく聞けば、やっぱり一筋なわでは行かないことを痛感するだろう。実際のところ、この明朗パンクの底に渦巻いているのは、多数に枝分かれした豊かなロックの水脈に他ならない。彼らの楽曲からは、実にさまざまな音楽的影響を推測できる。パンクかもしれないが、同時にグラムと言っても通用するし、ヴォードヴィル、カントリー、ソウル、R&Bから、レゲエ調ボ・ディドリといった妖しい曲もある。いちいち「〜風」ということが馬鹿らしくなるほどの多様性。雑食。猥雑さ。フラテリスの音楽から思い浮かべてしまうのは、かのミュージック・ホール的な大衆演芸の世界である(まさに"Chelsea Dagger"のPVのアレ、上のアルバム・ジャケットの世界なんだな)。
おまけに、外面は狂騒的だが、内面は醒めている。フロアの客を踊らせながら、ステージから自分は冷静に観察している――そんな「したたかさ」も感じる。このアルバムの彼らの音からは、表面上は想像できないかもしれないが、奥深いところであのひねくれバンドの大将――キンクス――を思い出してしまう。まあ、詩の方は、レイ・デイヴィスほどの深みに達してはいないようだが、ソング・ライティングの雑食的妙技(としか表現できないもの)の方は、キンクスに端を発する英国流ひねくれポップの系譜に連なるものだろう。くれぐれも、ホッファーの仕上げたサウンドに騙されてはいけない。これは相当な確信犯なのだ。
と、ここまで書いてきて変なことを言うようだが、ぼくは別に彼らの音楽を褒めたいわけではない。アルバムはよくできた楽しい作品だと思うが、正直言えば、これを聞きとおすのは少々疲れる。また、彼らが頭ひとつ飛びぬけているとも思わない。ただ、ここ数年の英国ロックシーンは、こうした雑食的・演劇的・大衆的なイキのよいバンドがずいぶん増えてきた。それに対応して、ひところ猖獗をきわめた叙情系バンド群――内省的でひとりよがりで、自分探しが自分の全肯定にしか行きつかないようなナルシシストぞろいの猿ども――がゆっくり退場していった。例の大物バンドはまだ残っているけど。個人的には、こうした動きを諸手をあげて歓迎したく思う。
ただ、時流の変化にあわせて、人びとに求められる音楽もまた姿を変える。こうした音楽が、どのような時流に対応しているのか、そこにどのような関係があり、いかなる欲望が介在しているのか、それはまだはっきりしないけれど、興味ある問題だ。フラテリスの音楽は、どうしようもなく古くて、また新しい。ひとつ間違いないのは、これから彼らのような音楽が求められる時代が到来しているということだ。
*百聞は一見にしかず。The Fratellisのヴィデオクリップは、"Chelsea Dagger," "Creepin' up the Backstairs," "Henrietta"の3曲が公開されているので、気になるかたはYouTubeで探すと簡単に見つかります。
*ベースのバリーは、ギネスのパーフェクト・パイントを注げるらしい。彼の姿を見て納得。うん、あれは間違いなくギネス体型だ。
*Official Site ...
http://www.thefratellis.com/